The White Lounge

こんにちはこんばんは

ほとけです。

 

ホワホワホワイトラウンジ、みなさんいかがご観覧いただきましたでしょうか。

フロントマンが賛否あるとツイート(ポスト)していたことを覚えています。

 

まさに賛否あるツアーだと思いました。

まずはセトリから。

 

1.未発表曲
2.Folktale
3.君を知らない
4.ダンスホール
5.ツキマシテハ
6.coffee
7.ニュー・マイ・ノーマル
8.PARTY
〜休憩〜
9.春愁
10.Jast a Friend
11.Attitude
12.Feeling
13.ケセラセラ
14.Soranji
15.未発表曲
16.フロリジナル

 

素直な感想を時系列に綴りたいと思う。

まず1曲目未発表曲のモチベなくなる感じ(苦笑い)

 

とは置いておいて全体の感想を時系列を追いながら綴る。

まずライブが終わった感想は

「1公演しか当たらなくてよかった」

これが素直な気持ち。

この気持ちの8割近くはAttitudeの消化の仕方がありえないほどに許容できず、許せなかったというか。何を観せられたんだろうという気持ちだろうか。

続いて「バンドなんだから」「ミュージカルじっゃないから」このような想いだろうか。

 

ただ一方でストーリ性などは分かりやすく伝わっており、

”伝えたいこと80点、魅せ方8点”

こんな感想のまま眠りについたことを覚えている。

 

伝えたいことはこのブログで何度も繰り返しているが”ヒトとヒトの愛”そのものではないだろうか。

セットリストと歌詞、演技を見て私はそう感じた。

だがしかし、魅せ方が分からなかった。

いや、私がミュージカルに疎いからなのかもしれないが。

 

彼らの”魅せ方” vs "私の曲への解釈” vs "ダークライ” 完全にこれである。

今なお完全に理解できないのはAttitudeの魅せ方だけである。

逆に言えばその他は理解できるとまでは言わないものの納得できる節も多々ある。

 

このツアーで一番私が納得できたのは

「君を知らない」⇨「ダンスホール

この流れとダンスホールへの解釈である。

 

正直ダンスホールが好きな理由がここにあると私の気持ちを代弁しているかのように

完璧な解釈一致だった。

 

いつだって大丈夫 この世界はダンスホール

君が居るから 愛を知ることができる 大好きを歌える

 

時間が経てば忘れる そう思って今日も引き摺っている

 

ここからは完全な個人的解釈を述べていく。

「君を知らない」では

想う人を知っていたつもりでいたのに、離れて気付く何か。

この違和感は自分が知っていたつもりでいたこと。

あくまで自分よがりで”知っている”と思い込んで向き合っていた。

 

離れてようやく自分よがりな向き合い方。

自分の向き合い方に気づいて、間違いに気づいて。

今の自分はこういう自分なんだよといくら叫んでも想う人には届かない。

どうしても届かないからこそこれも”ヒトとヒトの愛”であって

このことが美しいと思って生きていこうと諦める。

諦めると表現するとネガティヴなイメージが先行するが、そういうことを自分のコアにおいて生きていこうとする前に、明日に進む力である。

このように短編的にストーリーが完結することは容易に想像できるかと思われる。

 

次に「ダンスホール

何度も君が居るから愛を知ることができると唄われている。

これは過去に自分のコアとなるものを教えてくれたひと=歌詞に出てくる君

こういう解釈だとずっと思っていた。

 

足元にあるもの、あると思っていたものはいつの間にか見逃してしまいがち。

これは以前自分よがりで”ずっとある””いつでもそばにある”と思っていたものがいつの間にかなくなってしまうからこそ足元にあるものを見逃してはいけない。

 

メンタルが成長痛を起こした時に”無理をせず自分らしくいて”

こうやって背中を押してくれる人は誰なんだろうね。

昔想っていた人なんじゃないかな。

 

自分が想う人と一緒に愛を探すことは”ヒトとヒトの愛”の最上級の幸せである。

昔感じた自分よがりな恋はやめて、パートナーと二人で、相手を思いながら愛を永遠に探し続けていく。

 

私がダンスホールが好きな理由はちゃんと想う人と向き合って居続けれることって難しくて儚くて。だけどとても幸せなことなんだよって思わせてくれるからである。

そして今自分と関わってくれる人とちゃんと向き合えている?と毎回反芻することができる。今が見えていないと足元にあるものに気付けない。

 

けど、失わないとここに辿り着けないのもわかっていて。

ダンスホールはポップに消化されがちだけど、ちゃんと歌ってることはこのバンドは変わっていないし、魅せ方の違いで受け取り方も変わるんだな。と思えるいい例だと感じている。

 

「君を知らない」からの「ダンスホール」は驚くほど曲への解釈が一致した演出でこういう魅せ方があるんだと新しい扉が開かれた瞬間だった。

 

この視点でもう一度全体を俯瞰してみた時に何らおかしなことはないはずだ。

もう一度いうが魅せ方、これはバンドとしてなのかミュージカルとしてなのか、うまく受け取れなかったから8点だとは思う。

 

しかし、ダンスホールを例にもう一度考えると愛の伝え方ってたくさんあって。

全てを肯定するような安い感想は書かないが、伝えたいことはわかる。

こういう理解で落ち着いた。

 

ただ理解が追いつかないところももちろんある。

FCツアーで完全に演奏する彼らのエゴを押し付ける理由はどこにあるのか。

FCだからと言われれば確かにそうではあるが。

 

ファンを大切にしていることももちろんわかる。

ただこの魅せ方をFCツアーに充てたことはイマイチ理解に至っていない。

そして何より「Attitude」をどう解釈したらいいかずっと分からない。

 

この曲はいわばコアの中のコア。

もしかしたら2度と披露することはないのではないかと思えるほどこのバンドの概念を象徴している曲と思うがゆえになぜこのタイミングであのような消化の仕方だったのか。うまく解釈ができない。

Utopiaで感じたあの気持ちは何だったんだろうか。

 

こういう気持ちは基本的にファンのエゴであるため、言及すること自体がお門違いな話であることは重々承知している。

だけど何か感じる違和感、これがずっと残っているのだ。

 

 

感想を綴っていたらかなり長くなったが、新しいMrs.GREEN APPLEを感じた。

2ndアルバムを出した時のロゴの変更、ビジュの路線変更。

こういうのに近しい違和感でもある。

そう思いたい。

 

まさに賛否両論のツアーだと思う。

書いてて疲れたので、今日はここまで。

 

合唱!

 

ほとけ