バベル(名古屋公演終了時点ネタバレあり)
こんにちはこんばんは
ほとけです。
現在時刻10月17日(月)0時57分
先ほど名古屋から帰ってきました。
ネタバレありです。気をつけてください。
ざっと、ストーリーラインの感覚というか雰囲気を掴めたので、殴り書きで供養します。
前提として私は旧約聖書に関しては全くの無知であり、Web上のまとめを基に以下記載していますので、ご了承ください。
人々が名声を高めるために天まで届くように建てようとした塔
天まで届くような塔を建てようとすることは神への冒涜というかは無礼なこと
※神に近づこうとすることが無礼ということ
人々が一致団結し、塔を建てているのはみんなが同じ言語で意思疎通が図れているからだと判断した神が人々が話す言葉を変えた。
すると人々は話が通じなくなり、塔の建設をやめ、世界各地へ、言葉の通じる地域を求め散っていった。
|名古屋を終えての考察
Love me,Love you〜おもちゃの兵隊
人々は一致団結し、自分たちの信じる神に近づこうと信念を持って生活をしているようなストーリーラインが伺える。
これはまだ神が起こる前で、人々が何かを信じて生きている美しさと、そこにある共通言語の尊さについて表現されていると感じた。
WanteD!WanteD!〜Soup
塔を建てることに従事する(人生を捧げる)民たちの心情、気持ちの流れ。
大きくあえて曖昧に、人の人生を描かれている気がしました。
それは前述のように、共通言語で結ばれた者たちのシンプルで美しい愛が見え隠れしている気がしている。
全ては信じる神に一歩でも近づくために。人生をかけて。
ダンス(?)〜絶世生物
ここで、どんどんバベルの塔が建築されていることに神が怒る。
絶世生物の歌詞に
”今までの轍を壊すよ 来世に語り継げるように”
”あゝ 生物・生存・造形
その価値が誰かに壊されても
1あゝ 絶世唯一の生命 零からもやり直せるの”
とあり、ここは完全に僕の主観なのですが、神は民が間違った価値観を正すために、
本来バベルの塔を建てることが人々の幸せではない、ということから愛を持って人々の言語をバラバラにしたのかと。
Ke-Mo Sah-Bee〜ANTENNA
神に怒られた民たちの苦しみ、そして、その中でも生きるための活力、愛を見つけていく様子を感じ取れた。
それは本人がANTENNA前で言っていた
”絶望に真っ向から愛してるって言うぞ!”
と一致する感覚がある。
それは、どれだけどん底にあっても、そこの中で人は希望を見出し、前に進んでいく美しさが人間にはあるからで、それ自体を概念化し、ここであの一言が言える大森元貴は本当に怖い。
GOOD DAY〜天国
前段で絶望の中でも再び生きる喜びを感じることができた民たちは”本物”の人生の幸せを手に入れ、天命を全うする。
そして死後の世界エリュシオンへ。
人々の憂い、葛藤、愚かさを肯定しながら
寄り添ってくれながら、それでいいんだよと。
それが結果として愛なんだよって伝えてくれた気もした。
何となくだけど、これはバンドの初期衝動の形でもあって、個人的には現時点でそこそこ解像度が高く満足している。
2025年10月27日
ほとけ
フェーズ2という区切り
こんにちはこんばんは
ほとけです。
先日フェーズ3が2026年1月1日から始動すること、それに伴いフェーズ2は2025年12月31日を持って終了することが発表されました。
バンド形態は変わらない、しかしコンセプトは変わる。といったような内容でしょうか。
フェーズ1→フェーズ2は決してポジティブな感覚はなかった今、バンドの初期衝動を大事にしてフェーズ3を始めると伝えてくれたことに対してものすごくポジティブな感情を抱いています。
私個人として、フェーズ2を振り返らないといけない、フェーズ2とはなんだったのか。
決して華々しいスタートではなかった2022年3月18日、ずっと苦しい思いをしたまま迎えたUtopia、世間への影響力と共に大衆化・・・etc
と思えば10年追ってこれてよかったと思えたFjord
そしてこのままこの気持ちのまま船を降りてもいいかと思っていた矢先のある種原点回帰とも捉えられる発表。
これらの感情は嘘のようだが全てたった3年間という短い間で閉じ込められている。
|20211230
2021年12月30日 突然の2人の脱退発表
この時すでに自分が好きだった5人のMrs.GREEN APPLEがもうこの世にないこと、
そして3人のMrs.GREEN APPLEが好きになれるか、
Mrs.GREEN APPLEを嫌いにならないか、
ずっと、ずっと苦しかった。
真に気持ちよく応援できるかどうかだってわからないままどうしたらいいかわからないまま、ただただフェーズ2の始動を待つしかできなかったことを覚えている。
|フェーズ2始動
この日が来た、来てしまったみたいな感覚がどこかしらにあった。
それは3人のMrs.GREEN APPLEを受け入れることができる勇気が自分になかったんだと思う。
正直3月18日はよくわからないや、という感情で1日を終えた記憶がある。
ただ、その後更新される大森元貴のブログを読んで、
5人が作ってきたMrs.GREEN APPLEを追って行きたいなと、強く思えた。
当時ブログを書いてくれていなければ、どうにもこうにも気持ちは昇華できなかったと思う。
|Utopia
苦しかったな〜ずっと。
ずっと苦しかった。
振り返るとみんなが不安な感じを何の壁もなくダイレクトに感じ取れた唯一の瞬間だったかもしれない。
僕はずっと捻れた感情の中に自分の好きだったMrs.GREEN APPLEを重ねて苦しい時期が続いていたのを覚えている。
その中で、迎えるNOAH no HAKOBUNEで、ようやく、ようやく、フェーズ1を昇華仕切ってフェーズ2を迎え入れれた気がしている。
この時期からこのバンドはかなり船を大きくし、航海を続けていくことになる。
一般的に大衆化という言葉を用いれば受け取りやすいだろうか。
僕は妙にこのあたりから、確実に自分の好きだったMrs.GREEN APPLEはもう見れないんだな。とそのような感覚を抱くこともあった。
それは良し悪しではなく、そういうもの。
だからインディーズがずっと好きな人もいるし、大きくなればなるほど、さまざまな環境で芯の部分は希釈される。これは世の理であって、それ自体を否定しているわけではない。
だからこそバベルで船を降りてもいいな。と思えていた。
だけど、2025年10月16日(木)の記者会見でさらに彼らに期待をすることになる。
それは私が好きになった初期衝動を大事にバンドの活動をしていくという発言。
それらが指すものは何なのか。
私の都合の良い解釈では、昔の気持ちを彷彿とさせてくれる。
それは、裏を返すと、フェーズ2は意図的に大衆化させていたのでは?とも思える。
これはあくまで個人の感想であることは留意願いたい。
ただし、初期衝動という言葉で活動理念を掲げたということは、フェーズ2では自分たちのやりたいことをある程度我慢しつつも、まずはバンドとして成功することを優先したのではなかろうかと邪推することもできる。
それは顕著にフェーズ1から見てもビジュアルに力を入れたり、売り出し方であったり、メディアへの出演だったりと、意図的であったことは見て取れる。
と、書き始めると結局フェーズ2って何?という話に行き着く。
それと同時に自分自身の熱量が落ちていったことも納得できる話である。
|フェーズ2とは
結果、結果論「宇宙」。
これは彼らが当初掲げていたように、フェーズ2は宇宙であることをまさに体現しているように、感じる。
ただ、これは今振り返るからそう思えるのであって、当初はどん底の気持ちで、
どうしていいかわからなかった。その気持ちだけは忘れたくないし、
皮肉にも大衆化されたことで、救われている気持ちもあるのだ。
ここまで綺麗に芽が出て花が咲いたところに立ち会ったことがなくらい、本当に美しいと思う。
ある種全ての挑戦が身を結んで、結果「宇宙」だったなと。
|個人的な願望
もっと濃ゆい初期衝動を本気で感じたい。
これは僕のわがままであることは大前提、ライブハウスで、前人未到、
誰も成しえていないことを成し遂げたい、ヒトに愛されたいと心のそこから等身大で歌う大森元貴少年に出会いたい。
武装はしなくていい。もう武装する必要も無くなったし、等身大で彼らの歌を全力で追いかけて行きたい。
それは自分の好きになった、そして5人が作った、2人が続けてほしいといってくれた
Mrs.GREEN APPLEの世界を僕はずっと見たいと思う。
2025年10月21日
ほとけ
Mrs.GREEN APPLE垢の意義
こんにちはこんばんは
ほとけです。
普段スペースで喋り散らかしているような内容を一度まとめておきたいなと思い。
10周年だし。
タイトルにもあるように僕がなぜSNSを始めたのか。
そしてなぜ続けているのか。
将来の自分がこれを見てスタートに戻れるかどうか。
今の自分への自戒。
過去の自分への肯定。
|きっかけ
僕がMrs.GREEN APPLEを初めて知ったのは2015年の秋くらいだったと思う。
当時友人に教えてもらい聴き始め、もっと彼らのことを知りたい!
という思いからTwitterアカウントを作成した記憶がある。
自分より詳しい人に聞いたが早い!そしてそういう人を見つけたい!
そうやってネットの海に飛び込んだが、詳しい人に聞くには匿名性の高いアカウントであれば無視されることも事実であること、ある程度コミュニティがすでに形成されていること・・・
諸々踏まえると最低限のネットリテラシーを持ってみんなと仲良くならなきゃ!と思い前述した情報収集垢をミセス垢に転生させた。
当時のIDは覚えていないのだが、名前は「あおりんご」にした。
これはシンプルにミセスが好きとぱっと見でわかってもらいながら、自身の情報に関してはある程度の匿名性が保たれるからである。
恥ずかしいだろあおりんごってよぉwwwwwwwwwww
2015年当時学校にミセスを語る相手が学校にも地元にもいるわけではなく、
ひたすらミセスを語ることができる人たちをネットに求めて無暗やたらに片っ端からフォローして絡んでいた記憶がある。
当時の自分すごいなと思う。今ならやらないかも。いや、やらない。
それだけミセスに惹かれていて、とにかく知りたかった。
そしてもっと好きになりたかった!
この気持ちは本当に何にも汚されていないまっすぐな気持ち。
ここで自分が運がいいなと思うのは絡んだ人たちがとてもいい人だったこと。
来る物拒まず!みんなでミセスの輪広げていこ!みたいなノリで当時界隈の中では最年少でど新規だった僕を受け入れてくれて、輪に入れてくれた。
そして2016年3月のTWELVEツアー福岡公演で”福岡勢”と初めましてをすることになる。
この時に出会ったお兄さんお姉さんに今も手を引っ張ってもらいながらMrs.GREEN APPLEを追っている。
この時に出会っていなかったらおそらく追っていない。
本名も、年齢も、ましてや何をしている人かも、Twitterの情報の真偽もわからない。
けどライブに行けば会える。ずっとMrs.GREEN APPLEという共通言語で繋がっていて、
それを共有することができる友達として、ネッ友とはまた違うような。
だけどリア友と呼ぶにもまた違う。そういう関係性ができた。
Mrs.GREEN APPLEを語れる友達ができたことが当時すごく嬉しかった。
ライブに行っても、新曲が出ても、メディアに出ても何一つとってもそれを共有できる友達がいることがすごく嬉しくて。
ただもちろん、それぞれの人の人生は有限で、それぞれライフステージの変化に際して界隈を離れる人ももちろんいる。
それはそれで悲しかった。ずっと手を引っ張ってきてくれた人がいなくなって、
熱量が違う新規とどうやって仲良くなればいいのかもわからずに。
苦しかったのかもしれない。
だけど、そもそも自分も新規でこの界隈に入って、その時にお兄さんお姉さんは嫌な顔一つせずに手を伸ばしてくれた。
それを思い出しながら、自分なりに何かTwitterを通じて還元できることがないか試行錯誤するもこれまた難しいのである。
僕はずっと古参は概念として偉いと言っていますが、それは自分が新規の時に
手を差し伸べてくれたお兄さんお姉さんが作ってきた文化、雰囲気、民度全てを
心の底からリスペクトしているから。
アーティストとファンは表裏一体だと思っているので、この人たちがファンの形を作ってくれなかったら確実にファン側から崩壊していると思っている。
だから僕が知らない時からずっと伝承されてきている何かが必ずある。
Mrs.GREEN APPLEがここまで大きく日本を代表するアーティストになったことが、裏付けとして、それらを証明している。
ずっと引き継がれてきた何かって、自分たちもわからなければ形ある物でもなく、
時間軸として現在それが正しいのかなんてわからないものでしかなくて、非常に難しい。
ただ僕はあの時手を差し伸べてくれた人たちの気持ちだったり、雰囲気にずっと憧れを持っている。
本当に幸運なことに最高の友達ができて、もうこれ以上SNSなんてしなくていい!
という気持ちがあるのは正直なのだが、僕がお兄さんお姉さんから受け取ったものを何かしらいろんな人に還元できたらいいなとずっと思っている。
例えばほとけ部がバカしているのを見て、自分もこうありたい!と思ってくれる人が一人でもいれば冥利に尽きる。
僕一人でできることって限られていて、そもそも僕が何か秀でているものがあるかと言われるとない。
だからこそ外から”ほとけ部”という括りがわかるようにしておきながら、
みんなの力を最大限に引き出して、自分たちが楽しむ姿を見て誰かの何かのきっかけになれば本当に嬉しいことだと思っている。
ちなみにほとけ部に形あるものなんて何一つなくて。
ほとけ部の思想も何もかも全ては僕個人の思想なだけであって、ほとけ部の総意ではない。
そもそもほとけ部で成し遂げたいこともない。
僕らは今を楽しむことに貪欲で、むしろそれだけ。
ん〜なんかまた書きながら話が発散したな。終わり!
そういう気持ちって忘れんなよ、将来の自分へ。
2025年8月16日(土)
ほとけ
意味付けられた彩りに気づいてみよう。
こんにちはこんばんは
ほとけです。
MGA MAGICAL 10 YEARS ANNIVERSARY LIVE〜FJORD〜
先日開催されたフィヨルドについて、一次感情に近い感覚で書いていく。
|セトリ
コロンブス
ビターバカンス
フロリジナル
ANTENNA
クスシキ
アンゼンパイ
WaLL FloWeR
道徳と皿
Magic
feeling
variety(未発表曲)
No.7
青と夏
どこかで日は昇る
Loneliness
breakfast
天国
ニュー・マイ・ノーマル
ダンスホール
ケセラセラ
ライラック
-アンコール-
我逢人
StaRt
|感想
総じて素直に、そして純度はどこまでも高く『この10年追いかけてきてよかったな』
と。
この気持ちに嘘や偽りなんてなく、本当に心の底から10周年をお祝いさせていただいたと同時に10年でこの規模を体験させてくれたMrs.GREEN APPLEに感謝。
そしてこれらを一緒に現地で体験してくれた昔から一緒に追いかけてきた人、仲良くしてくれる人、慕ってくれる人、全方面に感謝を伝えたいと思います。
ありがとうございます。
書きたいことがたくさんあるので早速書いていきたいと思う。
まずはアンゼンパイの入りの一音が鳴った瞬間、時間は遡り、
2019年12月7日エデンの園初日
スクリーンに真っ白な背景で演奏されてかなり解釈一致だ!と感じたあの日。
そして2020年2月16日エデンの園ファイナル、フェーズ1の終了。
2025年7月26日
およそ5年半ぶりに、3人で、フェーズ2初となるアンゼンパイ。
エデンの園と同じ入りのメロディー。
どこか悲しさや寂しさがあって。
けど、そんなことどうでもいいくらい嬉しかった。
私はこの曲の中でずっとフェーズ1の頃の記憶が走馬灯のように走り出した。
※メインスクリーンはエデンの園と同じ演出だったと聞いています。
(泣きすぎて見てなかった)
初めてライブに行った2016年のTWELVEツアー、そこからずっとみんなに手を引っ張られて、ここまで連れてきてもらった感覚が綺麗な感情として流れながら、曲は終わり、
一番後ろのステージに立ったフロントマン
「懐かしい曲やります!」
これもエデンの園と同じ。エデンの園では愛情と矛先が演奏されたが、
フィヨルドでは耳を疑うような音が鳴ったと同時にやはりエデンの園で抱いた感情が自分の中で大きな塊となって吐き出されて涙が止まらなかった。
これだけ大きくなったバンドで、一番後ろのステージで演奏されたのは
『WaLL FloWeR』だった。
アンゼンパイ同様、エデンの園以降演奏されていないかつ、この楽曲が持つエネルギーはかなり大きいものである。
このバンドは愛について謳っていて、フィヨルドでもフロリジナル、ANTENNAを演奏し、他人から愛されたいと願っているのにこの曲は
”愛しても無駄なのに愛してる私がいる”
自分を愛したいけど、愛しても無駄だと思うことをずっと繰り返している葛藤を謳っていて、他人軸ではなく、自分での閉ループ的な話で少し他の楽曲とベクトルが違う。
ずっと涙が止まらない。
これだけ大きくなった今、ようやく壁の花は見つけられて咲いているのに、
それでも彼自身は何かまだ愛されていないと思っていて、それは良くも悪くも
僕が好きになったMrs.GREEN APPLEそのものだった。
僕が彼らに出会ってから10年経って、バンドは規模も変わりゆき、日本を代表するアーティストになっているにも関わらず、僕が2025年にみたバンドは、出会った2015年から何一つ変わらないバンドだった。
その事実を覚知したとき、嬉しくてたまらなかった。
嬉しい。とにかく嬉しかった。
配信があるから世間的にもっと知られている曲をやろう、とかではなく
等身大でそのまま自分達を表現してくれたことにここからのリスペクトを。
『道徳と皿』
Wall FloWeRで色々な気持ちを巡らせて涙が止まらなかったのに、
一音目を耳にした瞬間に
”あぁ、もうだめだ。”
と直感的に思いました。
まずは僕がこの曲にずっと救われ続けてきたこともあり、思い入れが一番深い曲でもあります。
そして、僕が追っかけてきてからはENSEMBLE幕張、Utopiaの2回しか演奏されず、どちらもバンドが大事な局面で演奏されているこの曲を10周年の今、ここで。
どんな理由があろうとその他の曲よりも何かここで鳴らさないといけない。と。
そう思ってくれたことが本当に嬉しかった。
Utopiaから3年、僕自身も周りの環境が変わり、当時とはまた違う形で昇華されていく感覚を電流が走るように体験しながら、これまたこれまでのことが走馬灯のように走り始めたのを覚えている。
私が表現できる最大限の感謝を。
そしてこの日のために書き下ろしてきたという「Variety」を演奏してくれた。
変わりゆく時代の中で変わらないことを歌っている。
そういうニュアンスに感じたこと、そしてこれまでの彼らの歴史を感じるような言葉の数々。
10年経った今、編成も変わって、規模も考えられないくらい大きくなり、
どれだけ大衆化されてもこのバンドの掲げる大義名分は何一つ変わっていないこと。
それが確認できただけで本当によかった。
それをこの忙しい中でこの日のためだけに。
(今後のリリース予定もないという)
これがMrs.GREEN APPLEだと。
名刺を投げてくれたこと。
僕が好きになったMrs.GREEN APPLEがそこに間違いなく存在したこと。
ずっと残像を追いかけている気がして、実像は重ならなくて、苦しくて、けどどうしても諦めきれなくて。ただ彼らの船は大きくなるばかりで。
苦しかった。ずっとフェーズ2から苦しかった。
5人から3人になって、好きなMrs.GREEN APPLEがないような気がして。
5人の活動期間<3人の活動期間になる時がいずれくると思うとそれまた苦しくて。
だけど、脱退のお知らせを読んだときに、抜けた2人が続けて欲しいと言ったこのバンドをずっと応援し続けると決めたあの覚悟が根底にあって。
もちろん今も間違いなく好きだけど、ずっと苦しかった。
単に”苦しい”という感情ではなく複雑な感情だがそれが全て綺麗に
『Variety』で昇華された気がする。
10周年のために書き下ろした曲が、スーパーハッピークレイジーソングではなくて心の底から良かった。
嬉しかったな。というわけではないが、自身に芽生えていた苦しい気持ちがうまく行き先を見つけた。
ここ最近ライブで未発表曲が演奏されることはなかったが、このタイミングで温めていたかのように、演奏してくれたことに感謝。
本当に大事にしたい曲だし、この先も瞬間的に感じた感情はどこまでも大事にしたいと思う。
『我逢人』
映像が流れた瞬間から我逢人であることに気付いたが、Utopiaを超えてエデンの園の映像に移った瞬間に崩れてしまった。
ダメだよなぁ、あの映像。
そして僕の頭の中に鮮明に映るエデンの園の我逢人。
どこかのブログでも触れた気がするのだが、後付けでエデンの園の我逢人はすごく綺麗なもので、儚くて、もう届かないものになっている。
だからこそ、だからこそすごく大切にしたいのだ。
そして遡って自分が参戦したライブでのシーンが映し出されて、ついには初期の映像まで出てきた。
Utopiaのドキュメンタリーでこの曲を歌うことに躊躇したというシーンが収められている。
だが、この曲はそういう曲だよねということでずっと歌われている。
この10周年、10年間、自分の中で色々なことに恵まれて流れ着いた今ここ。
全ての方面に感謝を。
自分ひとりだとここまで来れていなかったなと回想していた。
『StaRt』
この曲で泣いた記憶が1度だけある。
Utopiaでただいまー!とフロントマンが叫んだとき、戻ってきてくれて良かった!という気持ちで泣いた記憶がある。
逆説的にむしろ泣ける曲ではないのも事実で、メジャーデビュー曲だから歌い続けるという感覚がこれまでずっとあった。
ドローンがロゴを形成したときに、目から涙が止まらなかった。
なんという言葉で形容したらいいのかわからないが本当に心の底から
「これまで追ってこれて良かった!」
という純粋な気持ちで、今ここに入れることが嬉しくて、とんでもない多幸感に包まれて涙が本当に止まらなかった。
”「忘れたくないなぁ」を如何に増やせるかだ!微々たるものでも愛に気づけぬならスタートに戻ろう”
ここの歌詞ってこれまで深く読み解いたことはなかったが、
2人がやめたいと話したときに、それであれば解散しよう!と大森元貴が言った話を思い出す。
そしてそれでも続けてほしいと言ってくれた2人の気持ち。
僕はずっと5人のMrs.GREEN APPLEが大好きで。
今は3人だけど、2人が続けてほしいと言ってくれたこの気持ちは大袈裟かもしれないが、僕は大事にしている。
3人を見ているようで、2人のこの想いが乗ったMrs.GREEN APPLEをずっと追いかけている。
絶対に忘れてはいけない感情。
これらの気持ちが、StaRtで爆発してしまった。
Varietyの部分で書いた苦しかった思いが全て涙に変わって綺麗に昇華されていく感覚。
これまで追いかけてきたライブの中で一番多幸感に包まれていた。
そして自分が好きなMrs.GREEN APPLEがそこにあること。
確かめることができてすごく嬉しかった。
ここ最近ずっと自分が好きなMrs.GREEN APPLEを追うことは自分がキツくなるのではないかと思っている節があって、ファンとして前線を退けてゆっくり遠くから俯瞰して見るのがいいのではないかと思っていたが、必ずこれからも前線で彼らを応援し続けたいと強く心に誓った日。
忘れたくないなぁ。と思える瞬間が増えた日。
僕個人としてはUtopiaで感じたずっと苦しかった気持ちがありえないほどに美しく昇華された日。
Utopiaの系譜とはなんだったのか、言語化はできないけど、確信的にUtopiaの系譜だったと感じている。むしろそれ以外ない。
そしてこの10年を一緒に追いかけてきた強めのヲタクたちに特大の感謝を。
本当にありがとう。
2025年8月2日
ほとけ
狼狽の魔術
こんにちはこんばんは
ほとけです。
長い時間かけてようやく道徳と皿の個人的解釈が書けました。
やーーー、言葉に書き起こすって難しいですね。
このブログ始めてそこそこ経つのですが、見やすい作り方がわからないので、まずは僕の感想や考察を書いていきます。
|感想と考察
まず曲名から道徳と皿ってなんだろう?と引っかかる人が多いと思う。
やはり世論の、民衆の声が成ったものが果実でそれこそが道徳であるという概念だと感じています。(日本語難しい泣)
なんとなくのニュアンスは歌詞の読み込み部分に書いてます。
自分の悩みって、本来自分だけの悩みのはずなのに、周りの環境に左右されて結果悩んでいたことってなんだっけみたいな。往々にしてあると思います。逆も然り。
ただ、それって人が生きる上でヘルシーな状態であってそうやって生き抜いていくもんなんだよな〜と。
だからこそ諦めというか区切りというかつけることってすごく難しいと思うし、個人的には白黒つけるのがすごく苦手なので、この曲の持つエネルギーにとても助けられています。
僕個人は「壊れたそれでも〜温かいモノを忘れないこと」ここの歌詞が大好きです。
当たり前にキャパという概念がある以上、何かを壊して何かを受け入れるというタスクは毎日のように発生するのですが、これがすごく苦手で。
捨てるときにそこに詰まっているプロセスを否定するような気がしてそれは結果として自分を否定していることにつながるとも感じていて。
ただそれって先に進めないとも思っていて。何事もそれらを繰り返していかないといけないし、世界はそうやって成り立っているんだなと。
諦めてはいるんだけど、前向きに諦めるというか、次の何かを得るための選択肢の一つであるという認識の中で進めていく。
そうじゃないと人生やっていけないんですよ。
分かっていても結局ここをループして生きることになります。
だからこそ、今悩んでいる瞬間に前に進める力を与えてくれるのがこの曲の持っている測り得ないエネルギーだと感じているし、ファーストインプレッションから何一つ変わらず自分の中でメキメキと根を張ってドンと構えてくれる安心感があります。
なんか、まとまらなかったからここまでにしておきます。
また随時編集しているかも。
↓以下個人的な歌詞解釈↓
|歌詞の読み込み
空腹勇者のストーリー
傷を癒せるそのアイテムは
こちら道徳の果実
雁字搦めの毎日
「触れた肌も私を嫌うんじゃないか」
「疑いを覚えた」
何かこの世の不条理だったり、自身の信じるものが世間では認知されていないが故、自身の世界観と世の中の大衆意見の間に存在する感情。
それは人を突き動かすエネルギーとしては十分すぎる。
だけどこのハングリーさは前述の通り誰にも理解してもらえないものである。
皮肉なことにこの感情は果実の一つであって、世間はこの果実の集まりで集を成している。
だからこそこの傷を癒せるアイテムこそが道徳の果実であって、
その道徳とは、果実が成した世界であったり、果実の多様性を指している。
実は自身の果実はすでに世の中にはしっかり存在していて、
それでも人はもがき苦しむものでそれを分かり合えると慰めあっているという世界観の可能性もある。
そう考えた時に意外と自身の果実は存在しているのだが、
だからこそがんじがらめであることを覚知し、
隣り合っている果実もまたそのような疑いを持っているのではないかというヒトの葛藤。
盛り付けられた彩りに溢れたそれは華の様な日々だった
こんな世界を未だ憎めないのは何故か
気づいてるよわかっては居るけど
“生き抜くには傷を付けなければ”なの?
どうか「道徳」を今
さぁお食べ
果実が並べ揃えられた状態=この世界は自分が思っている以上に煌びやかな世界だということにも気づく。
しかしやっぱり自身の世間との間にある歪んだ感情も確かに残っていて、毎日悩みを抱えて生きている。
このギャップに対して”わかるけどわからない” という感情が渦巻いていて、生きるにはずっとこの問題と向き合わないといけないのか・・・という運命(さだめ)。
だからこそそれごと飲み込んで、そういうものだとして生きていくのが自分自身楽になるかもねというお話であって自身を消して生きるべきなのか、自身をもっと愛して生きていいのか。
その葛藤は人間である以上ずっと付き纏うもので仕方ないこと。
不景気現世の不条理
皆が惑わされる正体は
実は狼狽の魔術
不景気なこの現世での不条理はさては本当に不条理なのか?逆説的に考えるとみんなが慌てているのは、狼狽えているのは、世の中が不景気だからであって、それはみんなの心がヘルシーではない状況なだけで、もっと自分を大事にした方がいい。
壊されちゃったかい?誰かに
裏切られちゃったかい?愛に
生きるとはなんだ
「見返りを覚えた」
意味付けられた
彩りが薄れた
どれが正しいのか教えて
だからこそ、それは誰かに壊されているのか?自分が大事にしているものが実は現実というどうしようもできないものに壊されているのではないか?
自分ひとりでどうしようもできない壁にぶち当たってしまい、意味のある事象でさえも、誰かが作り上げた、世間が作りあげた偶像なだけであって、自身の大事にしているものなんて敵うわけもなく、比するほどもないほどに儚い気持ちだと気づく。
この現実世界での「正」って?「常」って・・・???
こんな世界を未だ
憎めないのは何故か
気づいてるよ
わかっては居るけど
生き抜くには
満ち足りすぎているの
「愛」と呼べる本物を
さぁ探せ
このような葛藤を抱くことがヒトの性であって、それはそれで美しい。
すなわち、苦しいけど、この悩み自体は「正」で「常」である。
だからこそ、足りないけど、足りなけど満ちていて、その中でも自分の
信じれるものを探そう。
瞳で触れれた幸せも
形を失うでしょう
避けられないことでしょう
「壊れた」
それでもまたなにかを信じたいな
光と云うには程遠いが
生きるという言葉の本質はこれらを繰り返していくわけで、それは愚かに見えるかもしれないが、美しいことでもある。
自分が信じたものが、目に見えないと思っていたものが、瞳で確実に捉えたものが、目の前から形がなくなること。
これは生きていくことでは仕方のないことで、その時にまた信じるのは皮肉にも満ち足りている世界である。そしてまたその中で何かを探す。
それらを絶対的なものだと信じて生きると何もかもが崩れてしまうけど。
こんな世界でずっと
生きてゆこうと思うんだ
温かいモノを忘れないこと
すれ違う思い
泣き合えた「青春」も
そうか「道徳の果実」を食べて
どうか どうか諦めず
さぁ笑えさぁはじめてみて
ある種この世界を受け入れて、生きていくしかない。
だからこそやはり自分の大事なもの忘れてはいけない。
どんなに人とすれ違っても、それは果実を飲み込んで、また前に向かって歩いていこう。
2025年7月20日
ほとけ
『10』
こんにちはこんばんは
ほとけです。
2025年7月8日(火)はMrs.GREEN APPLEのメジャーデビュー10周年です。
これ、なんで7月8日だと思いますか?7月7日の方がイケてるなぁと思いながら、
おそらく以下です(個人の推察)
2015年7月8日は水曜日でした。
勘のいい人はわかるかもしれませんが、CD発売日は水曜日に多かったのです。
理由は配送+準備など含めると水曜日が一番収まりがいいから、だったはず。
だから7月8日なんじゃね?と思いました。(まる)
いろんな感情が渦巻いていて、自身がどの感情に流されるのがいいかわからないくらいですが、まずは素直に嬉しいなと思います。
僕が初めてライブに行ったのは2016年3月、当時キャパ200の小さなライブハウスだったことを覚えています。
そこからびっくりするくらいのスピードで人気になり、気づいたらその3年後にはアリーナツアー。
そして今やドームツアーをできるようなバンドになっています。
人生でこのように、自分が好きなものが大きくなっていく感覚なんてあるかないかでしょうから、まずはこの感情に浸れることに全方面に感謝したいなと思っています。
純粋なポジティブな感情だけではないのも確かであって、やっぱり頭の中で、どこかで5人だったらどうなっていたんだろう。と思ってしまう自分もいます。
大きくなる/ならないとかそういう類の話ではなくて5人での音が2025年現在も生きているという感覚があればよかったなと。
フェーズ2が始まってから3年が経とうとしている今、10周年という今、ここで振り返るべきはUtopiaだなぁと。
不思議とそういう感情になっています。
そう考えるとフィヨルドがなぜUtopiaの系譜なのか、ということに関して理屈なんていらないのかもしれないと思ったり思わなかったり。
そしてUtopiaは一夜限りのSHOWだと銘打っていたのになぜ系譜が存在するのかと。
色々思うことはあるけど、振り返るタイミングとしてはここがベストだと僕は思い、
フィヨルドが系譜である、ということに関して輪郭が見えてきた気がします。
この感覚って言語化しなくていい感情だと思っている。とカッコよく書いておきたいが、実は言語化できるような語彙がなく、書き表すことができないだけでもある。
Utopiaって良くも悪くもフェーズ1であってフェーズ2なんですよ。
ライブの中身に関しては本当にポジティブな言葉が出てこなかった難しいライブだったけど、軌跡を振り返る時に欠かせないシーンであることもまた間違いなくて。
すごく言葉にするのが難しいし、語弊が生まれるかもしれないけど、
”合法的なフェーズ2のフェーズ1” かなぁ〜なんか表現ニュアンス違う気もするけど。。。
とりあえず僕個人の中ではフィヨルドがUtopiaの系譜であることなどは整理できている感覚があるということです。
少し長くなってしまったけど、やはり10周年を微力ながら応援できてここまできたという感覚や、その仲間がたくさんいること。
いろんな感情に流されて行き着いた先がフィヨルドであるといいな。と思い上手に締めくくれたので終わろうと思う。
多分本来書きたかった内容の1/4くらいしか書けていない。
2025年7月13日
ほとけ
無常感の裏側にある孤独感と過去
この記事はおそらくTwitterで共有はしないでしょう。
あんまり人に見られたくない感情というか、何というか。
人の醜さ、自身の感覚で共有すべき、共感を求めているわけではないという感情からそういう感覚があります。(ならなんで書くんだよ)
このブログを書いているのは2025年3月1日(土)午前中。
何でこの気持ちを残したいかと考えたかというとヴェルトラウムを三回ほど視聴した時に今の自身の感情が限りなくわからないから。である。
よどみ点になっていて世界が流れている感覚があるから書いています。
ただしこのよどみ点の軸では時間は流れず同時間軸を渦が巻いているような感覚で時間に置かれているわけでもなく、世間が、というよりは自身の気持ちが幽体離脱している感覚に近くて、とんでもないメタ認知というか、自分でも怖いくらいに客観的に世間が見えている。そんな感覚です。
具体的に何にギャップがあるのかというと、Mrs.GREEN APPLEが好きなのに好きではないというような日本語では到底表現できない感情で無常感に襲われています。
自分が好きなMrs.GREEN APPLEって何?と問うた時に一直線にアンサーが出ない。
これがいい悪いではなくて様々な環境・感情が雁字搦めとなり、”そうなんだけどそうじゃない”といった表と裏が半分半分見えている状態の気持ちが出てきます。
何なんだろうな。
しかもこの気持ちを別に解消したいわけではない。
どこかしらそれでいいと思っている。その根拠もない。
自分は感情から生まれたものには論拠付けをしたい性分だからこそ気持ち悪い。
それは自分がMrs.GREEN APPLEを好きではないということの裏返しであるのかもしれない。とも思いながらシンプルに好きという感情の純度が低い感覚でしかない。
その感覚で見るヴェルトラウムのCONFLICT、全てがこれであって欲しいと縋るような思いで見てしまうし、実際自分の好きなMrs.GREEN APPLEは何一つ変わっていないし、自身のコアな部分も、本質的に何一つ変わっていない。
なんなんだろうね。このギャップ。
だけどシンプルにやっぱりみんなとMrs.GREEN APPLEを追いたい。という意地、プライド、そういう想いは純度高く自身の根っこに植え付けられている。
福岡勢のお兄さんお姉さんがいたからこそ今があるし、ほとけ部があるからこそ未来もあるという感覚。
不思議なことにこの時間軸はフラット。
プロセスがあるからこそ時間軸はフラットではないはずなのに、プロセスを超越して全ての感情がフラットに襲いかかってくる感覚。
まぁ、そんな気持ちの正体なんてわからなくてもいいのですが。
きっと、いや、確実に福岡勢の気持ちを大事にしたい。
それを共有できる友達がいるこの環境が当たり前ではないことを再度認識した上で、自分には自分のできること。
そんなやらなくて、好きなものは好きであればいいという思想もわかるのだが、自分は結局福岡勢のお兄さんお姉さんの様々な想いが原動力となって、そうあって欲しいという気持ちに動かされている。
これ自身に善悪などないのだが、最善の策を講じながら、自分もMrs.GREEN APPLEも、それを共有できる友達も全てがいい未来に進むといいなと野暮なことを常日頃考えている。
ヒトの想いは無数でその想いに動かされている今こそが人間としては最高に幸せなのかもしれないと思いながら。何となく自己満足できたので、ブログを書く手を止めるのであった。
このブログ書くのに20分もかかったな。
2025年3月1日(土)
ほとけ