素晴らしいと思える様に醜さに気づいてみよう

こんにちはこんばんは、南無阿弥陀仏

ほとけです。

 

ブログは書きたいけど、書くことがないなぁ〜と思いながら、何を書こうか悩みながらタイピングしています。(そんなブロガーはいません)

 

いつの間にか冬から春になり、我々が目にしたエデンの園ファイナルから1年があっという間に経過し、3ヶ月後には休止宣言から1年が経過しようとしている今、みなさんはMrs.GREEN APPLEに対してどんな気の持ちようで毎日を過ごしているでしょうか。

 

彼らの音や音楽に触れる機会が激減してしまいましたが、今だからこそ彼らの曲をさらに深く考える事ができる機会でもあったりするわけですよ。(急な話口調)

 

その環境の中でブログタイトルの「素晴らしいと思える様に醜さに気づいてみよう」このワンフレーズ、"WaLL FloWeR"の歌詞の一部であることは説明不要でしょう。

 

話がそれますが、そもそもMrs.GREEN APPLEの曲の歌詞を深読みしたことがありますか?(哲学)、特に初期の頃にリリースされた曲、いや大森元貴が高校生くらいまでの年に書いた曲は読み解きがいのある曲が多いと個人的に思っています。

 

それでは本題ですが「素晴らしいと思える様に醜さに気づいてみよう」このワンフレーズにこめられた意味をみなさんはどのように解釈しているでしょうか。

解釈の方向性はみなさんそれぞれなので、ここでは筆者の解釈を文字起こしとして供養させていただきます。

 

この世の真理

 

一言で表すのであればこの言葉を選ぶほかない。

多くの人間は他人との衝突を避けるために無意識的に近い感覚で、相手の悪いところに触れないように我慢するか、割り切って生きている。

言い換えれば、悪いことがすぐ目についてしまうのだ。

これは至って普通の思考であって、自分主役の人生において不快な気持ちにならない、ストレスをためない生き方をするためには、自分と合わない人と関わらないことが1番の解決策であるからではないでしょうか。

 

もちろん極端な話ですが、前述の通り生きてしまうと今感じている”当たり前”のことが”そうなって当然”というように思い込み、生活してしまう。

生活基準のレベルが上がり続けていく。

 

今あることが本当に奇跡や、人々の支えがあってこそだと気づくために、”なぜ今自分が生きていられるか”を問いかけながら、今生きていることが素晴らしいと充実感を得るために、人間の醜さ、自分の弱さとしっかりと向き合ってみよう。

 

たったワンフレーズですが、この曲にはそう思わせる力、大森元貴の表現力が詰まっていると思います。

 

人生におけるたかが5分、1曲聞くだけで自分の世界観が変わる曲。

新年度で環境が変わった時、何かの節目の時に耳にすることで今一度、素晴らしいと思えるように醜さに気づいてみる。

どうだろう、みなさんには何が見えて、その時何を思っていますか?

 

このブログ、たかが1200文字タイピングするだけの簡単な作業ですがタイピングし始めると本当にこの曲は素晴らしいな、伝えたい!という気持ちに駆られて、内容に納得したくなり始めて気づいたら4週間も書いては消してを繰り返していました。

 

結局妥協した挙句に、まとまらないブログになっちゃった。

 

早くMrs.GREEN APPLEのフェーズ2を祝いたくてたまらない。

7月までに優勝の加速度高めていきたいな〜〜〜

 

急にブログが緩いんじゃ(ノブ)

 

(ノブ)を使いたくて無理矢理使いました。(大反省)

 

それではみなさん、季節の変わり目なので体調には気をつけてください。

 

合掌!