大森元貴のソロデビューについて思うこと

こんにちはこんばんは南無阿弥陀仏

 

いきなり訪れた大森元貴のソロデビュー決定。

あくまで筆者のアカウントのTwitterタイムラインは必ずしも喜びの表情ではない。

 

なぜだろうか?

ここでは人々の深層心理に迫っていきます(嘘です、ごめんなチャンカパーナ

 

とはいえ正直筆者も困った表情が出たことに変わりはない。

この気持ちの奥底に触れるものは何なのか。

 

大森元貴とMrs.GREEN APPLEを切り離せないから

 

これに尽きる。

むしろこの一言意外で端的にまとめられるなら教えていただきたい。

 

Mrs.GREEN APPLE大森元貴、Mrs.GREEN APPLEの生みの親大森元貴

何につけてもMrs.GREEN APPLE大森元貴というワードが話せないからであろう。

 

筆者が引っ掛かりを持っているのはMrs.GREEN APPLEの公式が大森元貴の独立アナウンスをしたことだ。

Mrs.GREEN APPLE所属の大森元貴のことだから所属元が発表することは当然のことで、そこに疑問を持つ必要はない。

 

しかし、先述したように我々はMrs.GREEN APPLE大森元貴を切りはして考えることができない存在なのである。

 

このようないわば思考ロックしている我々が感じたことは

大森元貴がMrs.GREEN APPLEを捨てた”

このような書き方はかなり拡大解釈であり、当人たちへの配慮が足りない書き方として極まりないが、我々の思考では簡単に表現するとこうなる。

 

実際に嬉しい顔をしていない人の理由がこう感じたからであろう。

 

筆者も最初はそう感じたが、彼がメンバーを見捨てるわけがない。

フェーズ2に向けて何か仕掛けている。

普通の、いわば一般的な物差しで彼らを見てはいけないし、これまでもそうであった。

それは過去の彼らが私たちに証明してくれている。

 

私たちは彼らを信じて止まず、彼ら5人が音を奏でるその日まで待ち続けることが正しい道ではないのだろうか。

 

ここで大森元貴がソロデビューしたから、とかそういうことでなぜ負の感情を持たなければいけないのか。

からしても甚だ遺憾であるに違いない。

 

我々は待とう、彼らは帰ってくる。

 

帰ってきた5人にめいいっぱいの感謝と喜びの気持ちをぶつけよう、ここまで待たされてきた我々の祝砲で彼らのフェーズ2の開幕としたい。

 

贅沢なことは言わない。

最高のシーンにMrs.GREEN APPLEが寄り添ってくれる人生であればそれでいい。

 

それでは、合掌!