Mrs.GREEN APPLEのファンについて想うこと。

こんにちは、南無阿弥陀

昨日の雨予報と打って変わり、晴天である(青天の霹靂)。

 

これまで4回に分けて先日盛大なるフィナーレを迎えたMrs.GREEN APPLEアリーナツアーの感想を綴ったが、今回はファンに対する想いを綴る。

 

筆者も読んでる方も必聴リスナー同士であることはもはや説明不要であるが、必聴リスナーになった時期や、年齢、その幅は音楽を奏でる彼らの時間に合わせて広くなってきたのをとても実感する。

 

理系らしく、結論から締めましょう

「たまにキチガイみたいに怖いファンがいる」

 

もちろん、人それぞれの価値観であったり世界観があり、各人のベクトルが合わないことが前提でお話しするね(幼稚園児)

 

後日、アリーナツアーのアンコールの2曲について感想を述べるブログをUPする予定である。

そこにも述べようと思っていること

"スマホライト"

今回、ファイナル代々木前にものすごくTwitterスマホライトをやめてくれ、という意見が挙がっていた、どうでもいい、次!

 

いや、どうでも良くはない、彼らの主張には

"なぜ、どうして、だから、こうである"

主張に起承転結がない、エセ理系の筆者にとって腹落ちできるわけがない。

 

もし、音を奏でる彼ら5人がそれを望んでいると明言した時、批判していた彼らはどうするのであろうか、音を通じて必聴リスナーとしてその場に居合わせているのに、位相がズレることによって雰囲気の乱れに繋がりはしないだろうか? 

 

必聴リスナーである我々がMrs.GREEN APPLEの晴れ舞台であるライブを打ち壊せるわけがなかろう。

 

我々のエゴを押し付けない、彼ら5人からのエゴは受け入れる、この関係性がいかに重要かわかって欲しい。

 

昨日、とあるツイッタラーのブログを拝見させていただいた、中身を要約すると

'フロントマンのSNSしかり、我々が身近な存在だと錯覚していたものが、遠く離れた存在になったときに、フロントマンはそこに求めていたものが違うと判断し、SNSから身を引いたのではないか'

というものであった、キッズ(KIDS)みなさんがツアー初日にセトリをTLでバラされると悲しい気持ちや憤りを感じるように、

彼らも同じ人間であり、ハートを持つ人間である以上、心身的な負荷を負うことは容易に想像が可能であろう。

 

そういうことだよ(盛大なるブーメラン)

 

何が彼らに刺さるのか、そんなの本人しかわからない(ナニヲナニヲ参照のこと)

 

我々の行動ひとつひとつが彼らのストレスになることがあってはならないのだ。

 

顔ファンとかも別に否定はしないがうるさい。

彼らが鳴らす音楽で繋がってる我々は

"必聴リスナーであってそれ以上でもそれ以下でもない" (仏大学 校訓)

 

このような事を書いている筆者もそうであるが、偏差値と精神が幼すぎる。

私が古参とは言わないが最近のファンにはそういう子が多いような気もするのである。

 

失敗は成功の元、その経験に基づいて人生のアップデートを繰り返し行いながらヒトは成長するものなので、このブログを読んでうしろめたさを感じたヒトがいれば考え方を改めて欲しい。

 

とは言え、筆者がなぜこのような愚文を残しているかというと、必聴リスナーの横の繋がりがとても貴重なものであると身を持って体感しているからである。

 

必聴リスナー同士、ライブが楽しかったね、

あの曲のあのシーン最高だよね、

自分の人生に焼き付けたシーンを共有できる人は多いに越したことはない。

目を擦って足りない価値をこれからも埋めて行きましょう。

 

ここまできて気付いたがこのブログが1番の価値観の押し付けである。

 

だがしかし、想いを文字に起こした以上、とある妄想として供養させてくれないだろうか?

南無阿弥陀

 

これを投稿したらアンコールの2曲についてブログを綴り始める、ラーメン食べたい。

それでは、合掌!

 

 

追伸

今回、(ノブ)はお休みじゃ(ノブ)