The White Lounge

こんにちはこんばんは

ほとけです。

 

ホワホワホワイトラウンジ、みなさんいかがご観覧いただきましたでしょうか。

フロントマンが賛否あるとツイート(ポスト)していたことを覚えています。

 

まさに賛否あるツアーだと思いました。

まずはセトリから。

 

1.未発表曲
2.Folktale
3.君を知らない
4.ダンスホール
5.ツキマシテハ
6.coffee
7.ニュー・マイ・ノーマル
8.PARTY
〜休憩〜
9.春愁
10.Jast a Friend
11.Attitude
12.Feeling
13.ケセラセラ
14.Soranji
15.未発表曲
16.フロリジナル

 

素直な感想を時系列に綴りたいと思う。

まず1曲目未発表曲のモチベなくなる感じ(苦笑い)

 

とは置いておいて全体の感想を時系列を追いながら綴る。

まずライブが終わった感想は

「1公演しか当たらなくてよかった」

これが素直な気持ち。

この気持ちの8割近くはAttitudeの消化の仕方がありえないほどに許容できず、許せなかったというか。何を観せられたんだろうという気持ちだろうか。

続いて「バンドなんだから」「ミュージカルじっゃないから」このような想いだろうか。

 

ただ一方でストーリ性などは分かりやすく伝わっており、

”伝えたいこと80点、魅せ方8点”

こんな感想のまま眠りについたことを覚えている。

 

伝えたいことはこのブログで何度も繰り返しているが”ヒトとヒトの愛”そのものではないだろうか。

セットリストと歌詞、演技を見て私はそう感じた。

だがしかし、魅せ方が分からなかった。

いや、私がミュージカルに疎いからなのかもしれないが。

 

彼らの”魅せ方” vs "私の曲への解釈” vs "ダークライ” 完全にこれである。

今なお完全に理解できないのはAttitudeの魅せ方だけである。

逆に言えばその他は理解できるとまでは言わないものの納得できる節も多々ある。

 

このツアーで一番私が納得できたのは

「君を知らない」⇨「ダンスホール

この流れとダンスホールへの解釈である。

 

正直ダンスホールが好きな理由がここにあると私の気持ちを代弁しているかのように

完璧な解釈一致だった。

 

いつだって大丈夫 この世界はダンスホール

君が居るから 愛を知ることができる 大好きを歌える

 

時間が経てば忘れる そう思って今日も引き摺っている

 

ここからは完全な個人的解釈を述べていく。

「君を知らない」では

想う人を知っていたつもりでいたのに、離れて気付く何か。

この違和感は自分が知っていたつもりでいたこと。

あくまで自分よがりで”知っている”と思い込んで向き合っていた。

 

離れてようやく自分よがりな向き合い方。

自分の向き合い方に気づいて、間違いに気づいて。

今の自分はこういう自分なんだよといくら叫んでも想う人には届かない。

どうしても届かないからこそこれも”ヒトとヒトの愛”であって

このことが美しいと思って生きていこうと諦める。

諦めると表現するとネガティヴなイメージが先行するが、そういうことを自分のコアにおいて生きていこうとする前に、明日に進む力である。

このように短編的にストーリーが完結することは容易に想像できるかと思われる。

 

次に「ダンスホール

何度も君が居るから愛を知ることができると唄われている。

これは過去に自分のコアとなるものを教えてくれたひと=歌詞に出てくる君

こういう解釈だとずっと思っていた。

 

足元にあるもの、あると思っていたものはいつの間にか見逃してしまいがち。

これは以前自分よがりで”ずっとある””いつでもそばにある”と思っていたものがいつの間にかなくなってしまうからこそ足元にあるものを見逃してはいけない。

 

メンタルが成長痛を起こした時に”無理をせず自分らしくいて”

こうやって背中を押してくれる人は誰なんだろうね。

昔想っていた人なんじゃないかな。

 

自分が想う人と一緒に愛を探すことは”ヒトとヒトの愛”の最上級の幸せである。

昔感じた自分よがりな恋はやめて、パートナーと二人で、相手を思いながら愛を永遠に探し続けていく。

 

私がダンスホールが好きな理由はちゃんと想う人と向き合って居続けれることって難しくて儚くて。だけどとても幸せなことなんだよって思わせてくれるからである。

そして今自分と関わってくれる人とちゃんと向き合えている?と毎回反芻することができる。今が見えていないと足元にあるものに気付けない。

 

けど、失わないとここに辿り着けないのもわかっていて。

ダンスホールはポップに消化されがちだけど、ちゃんと歌ってることはこのバンドは変わっていないし、魅せ方の違いで受け取り方も変わるんだな。と思えるいい例だと感じている。

 

「君を知らない」からの「ダンスホール」は驚くほど曲への解釈が一致した演出でこういう魅せ方があるんだと新しい扉が開かれた瞬間だった。

 

この視点でもう一度全体を俯瞰してみた時に何らおかしなことはないはずだ。

もう一度いうが魅せ方、これはバンドとしてなのかミュージカルとしてなのか、うまく受け取れなかったから8点だとは思う。

 

しかし、ダンスホールを例にもう一度考えると愛の伝え方ってたくさんあって。

全てを肯定するような安い感想は書かないが、伝えたいことはわかる。

こういう理解で落ち着いた。

 

ただ理解が追いつかないところももちろんある。

FCツアーで完全に演奏する彼らのエゴを押し付ける理由はどこにあるのか。

FCだからと言われれば確かにそうではあるが。

 

ファンを大切にしていることももちろんわかる。

ただこの魅せ方をFCツアーに充てたことはイマイチ理解に至っていない。

そして何より「Attitude」をどう解釈したらいいかずっと分からない。

 

この曲はいわばコアの中のコア。

もしかしたら2度と披露することはないのではないかと思えるほどこのバンドの概念を象徴している曲と思うがゆえになぜこのタイミングであのような消化の仕方だったのか。うまく解釈ができない。

Utopiaで感じたあの気持ちは何だったんだろうか。

 

こういう気持ちは基本的にファンのエゴであるため、言及すること自体がお門違いな話であることは重々承知している。

だけど何か感じる違和感、これがずっと残っているのだ。

 

 

感想を綴っていたらかなり長くなったが、新しいMrs.GREEN APPLEを感じた。

2ndアルバムを出した時のロゴの変更、ビジュの路線変更。

こういうのに近しい違和感でもある。

そう思いたい。

 

まさに賛否両論のツアーだと思う。

書いてて疲れたので、今日はここまで。

 

合唱!

 

ほとけ

20231230

こんにちはこんばんは。

ほとけです。

 

12月30日。

普段”12月30日”を意識することはないけど、当日になると意識してしまうというか。

潜在的なトラウマの感情が体の奥深いところから自我を持って芽生えてくる。

 

2021年12月30日

2人の脱退。ここから我々の感情は捩れながらもフェーズ2という新たな形のMrs.GREEN APPLEを受け入れながら進めていくことになる。

 

この捩れた感情を消化されることはないんだろうな。

と、どこかで思いながら、毎日過ごしては12月30日で感情がぐちゃぐちゃになる。

こんな2年間。

普段は声を大きくして言わないけど、僕の好きなMrs.GREEN APPLE

5人のMrs.GREEN APPLEで。

ずっと、ずっとどこかで重ねてしまう自分も嫌で仕方がなかった。

 

2023年12月30日

にわかに信じがたい投稿を目にした。

山中綾華を名乗る人物より、現状と報告と、2021年12月30日に我々の前から姿を消したことへの謝罪の文面が投稿されていた。

 

「山」の書き方が綾華ちゃんだ。。。と何の根拠もない直感が潜在的なトラウマの感情へ呼びかける。

 

よかった、など、一言では表現できない複雑な感情。

それだけではなく、僕らのこの2年間、ひいては4年間の時間軸の中で移り変わっていく感情の捩れを解いていく感覚。

なんだろうね。この形容できない感情。

フェーズ1の終わり方に対するモヤモヤ感が薄れて、真の意味でフェーズ1を捉えることができる、そう認識することができる。

なんだろうな。そんな感覚。

 

そしてレコード大賞

おめでとうございます。

 

「生まれ変わるならまた、私だね」・・・いつかのインスタの質問返しで

綾華ちゃんが生まれ変わっても私でいたいという返しをしていた気もしていて。

 

偶然だけど。。。ね。必然的な偶然だと信じたい。

脱退した2人が音楽を続けている、続けたいと言っていることは素直に喜ばしい反面、脱退した事情を探りたくなる気持ちも深まったのは事実。

 

ただ前向きに捉えるなら、自分の欲望を出していいのなら、また5人で音を鳴らしてほしい。

少し希望が見えたそんな1日。

何かが進展したわけでもなんでもないけど、気持ちが軽くなった。

 

2人が続けてほしいと言ってくれた3人のMrs.GREEN APPLEを来年も応援していくよ!

 

2023年12月30日(土) ほとけ

 

ho-to-ke.hatenablog.com

 

ho-to-ke.hatenablog.com

 

 

決意を固めて進み出す私たちの方舟

こんにちはこんばんは、ほとけです。

この記事を公開するのは全公演終了後ですが、書いているのは

2023年7月10日(月)都内某所(某所って使いたいだけやろ)で、

昨日、一昨日とは打って変わって今日はとても暑いですね。サママです。

→共有したくて出しちゃいました。

 

今回は全体の感想を述べたいそんな回です。

 

1.Viking

2.アウフヘーベン

3.CHEERS

4.私は最強

5.Blizzard

6.VIP

7.Hug

8.私

9.StaRt

10.ニュー・マイ・ノーマル

11.Loneliness

12.インフェルノ

13.Love me, Love you

14.scenario

15.HeLLo

16.ダンスホール

17.Folktale

18.norn

19.鯨の唄

20.青と夏(サママ)

21.Magic

22.Soranji

23.ケセラセラ

 

en1.Feeling

 

いつからこんな歌ってくれるようになったん???

 

素直な終演後の感想としては「良かった!楽しかった!」なのかもしれない。

一方で私の心の中ではようやくフェーズ2が始まったような、フェーズ1を引きずるのではなくて、糧として美しいものとしたうえで、航海を進めていく。

そういう決意を彼らから感じました。

 

2022年7月8日のあのMCからのニュー・マイ・ノーマル、どうしてもポップに昇華することができなかった。7月8日と言わずに、MVが出た2022年3月18日からずっとポップに昇華できてなかった。

理由は簡単でメンバー編成が変わったことを受け入れれなかった。

エデンの園が終わって2年。我々の目の前に戻ってきた彼らは5人ではなかった。

ただそれだけで受け入れることができない理由が揃っている。

 

そういうネガティブな感情に支配されたまま2022年7月8日を迎えた。

Utopiaのライブの感想に”楽しかった”という感情は一切ない。

ただ単に疲れたというか。

3人のメンタルVS私たちのメンタル。

こういう表現が適切だろうか。

 

実際にUtopiaのドキュメンタリーでは、5人で鳴らしてきた曲たちを再び3人で演奏することに対して、葛藤するシーンが入っている。

 

彼らでさえ、フェーズ2の門出と称しながら、実は彼らこそがまだまだフェーズ1と同じ気持ちで、未練たらたらな気持ちでUtopiaを迎えていたのではないか?と推測することは容易に想像できる。

 

そう考えるとフロントマンのMCはさらに私たちの心に溶け込んでくる。

 

もちろんUtopiaが終わっても正直脱退した2人に想いを重ねてしまう自分がいるのも事実で、いまだに綺麗に気持ちが消化できているわけではない。

前を向かなきゃ。と思えば思うほどにモヤモヤする。

 

ただ、今回の「ニュー・マイ・ノーマル」で、「Feeling」で、終わったものを無下に扱うのではなく、”フェーズ1” として扱う気持ちが芽生えたことを認識できた。

あくまで私の主観でしかないが、3人から

「(バンド編成が変わったことに対して)すごく悲しいし、途方もないくらいどうしようもない。だけど時間は当たり前に経過して、嫌でも前を向かなきゃいけない。

けど、今こうやって、2年休止したにも関わらず、アリーナに立ててる。なるようになるね。なったね。これからもよろしくね。」

このようなニュアンスを受け取ることができた。

 

実際にこのような意図であれば本編がケセラセラで終わること、アンコールがFeelingで終わることにかなり納得ができる。

 

「また諦める理由探すけど」

「諦められるようになってきたような 正常すぎる危険サインを感じてるよ」

 

これまではフェーズ1を青春として、5人の思い出としてどうしても踏ん切りがつけれずに尾を引きずりながら進んできた ”(フェーズ2)” だったけど、

諦めたい理由を探しながらもなんとかなると自身に言い聞かせてながら、

時間が経つにつれてこの現状が当たり前になってきてしまうことに寂しさや悲しさを感じながらも、進んでいくしかないという彼らの決意。

 

「嫌いじゃないのにバイバイしなくちゃ宝物は置いてきた航海は続いてゆくけど君が僕を置いていった」

 

元々こういう世界観なのか、後付けの世界観なのか。

悲しくて儚くて美しい世界観。

単純にポジティブエネルギーに満ち溢れたフィーリングではなくて、

ネガティブエネルギーも混じりながら進むこの世界。

きっと彼らが鳴らしてきたようにヒトとヒトの愛ってどこまでも変わらないんだなって。

 

ようやく長い嵐を抜けて次の行き先、アトランティスに向けて舟が進み出したね。

 

私は彼らが航海で行き先に迷わないようにこれからも彼らの音楽を受け止めて、ファンとしての使命、このバンドを続けて欲しいと言ったあの2人の気持ちを担いで追っかけていきたい。

 

そのfeelingを信じて疑わなきゃいい憎むべき愛すべき心のコックピットで

 

ほとけ

 

 

 

 

 

 

 

歌詞を考察してみる。「CONFLICT」

こんにちはこんばんはほとけです。

 

歌詞を考察するのは嫌いじゃないのですが、内に秘めているうちが美しくそれが美学なのではないか?

という気持ちと、その時の感情は残しておきたい気持ちのせめぎ合いによって後者が勝ったため、文字起こしをしてみる。

 

文字に起こす途端に浅く、敬意が薄れているように感じる瞬間がくるが、私は最大限のリスペクトと深い愛情をこの曲に持っていることは前提条件であることをここに宣言します!(大声)

 

ブログであることも含めて全部の歌詞には触れることはないことをご承知おき願いたい。

それではいってみよう👆

 

・CONFLICT

 対立する 衝突する 不一致

 

頭に残しながら読み解いてほしい。

 

まず何に対立しているか?に注目したい。

ここでは軸を決めよう。

「煌びやかに見える世界」VS「そんな世界に不満を持っているのに理解してもらえない僕」

これが対立していて衝突しながら自分の気持ちと現実が不一致であるCONFLICTだと仮定して話を進めていく。

 

“綺麗事がなんだかんだ好きな僕らは希望を求めている”

“いつだってそうだ そうだ 胸の内にあるんだ本当はそうさ叫びたいんだろう”

本当は自分が見えている世界にも本物の何かがあることはわかっているし、自分だってそう信じている。

だけど、今の僕にはそう見えない。いつ何時でも不安を抱いているし、不満も抱えている。

この気持ちから解き放たれたいのにそういうことも言えないそんな世の中だ。

 

 

“いつかはどうせ消えて往く 残された時間が笑えるように”

言いたいことが言えない世の中だけど、生を受けた以上いつかはどうせ消えてしまう。

消えてしまうまでの時間で何ができるか?どうせなら不安もなく不満もないこの世の中で過ごしたい。

 

 

“逃げちゃうのがなんだかんだオチな僕らは理想を纏っている”

だけど僕らは在りたい姿を持ちながらも目の前の現実から逃げてしまう。

逃げてしまうというよりかはそういう風に世の中は成り立っているのかもしれない。

 

 

“本当にそうさ怖がってるんだよ”

自分の在りたい姿を発信することは、世の中には受け入れてもらえないかもしれない。

 

 

“「今迄」の時間は無駄じゃないと思いたい だんだんいろんなことも忘れて往く この気持ちだけは忘れぬように”

そうやって自分の気持ちを隠しながら過ごしていく内にその時思っていた社会への不満や不安、自分の中の葛藤も忘れて社会に流されながら生きている。

最初に思っていた気持ちもそうやって薄れていく。だけど初心に返ってその時思っていた事を思い出してほしい。

本当にそれでいいのだろうか?在りたいと願って止まなかった世界に今自分はいるのだろうか?

 

 

“深く深く潜っていたいんだ本質の果てまで 下手すりゃそれは結構辛く生きていく事だろう”

自分の気持ちに素直に従って生きていきたい。だけどそれが人に認められなかった時、なりたい自分になれないという壁が生まれてしまう。

それはかなり辛いことじゃないかな。

 

 

“この世にはまだ出番のない光が実はたくさん散らばっている”

貴方だけじゃないよ。そう思っているのは。みんな自分の中に在りたい理想郷とこの世の中を比べてギャップに苦しんでいる。

みんなそうやって生きている。

 

 

“いつかはもしかしたら想いが実を結び 僕らの抱いたこの夢は誰のものでもなく「私」のものだ”

自分を表現することは恥ずかしいことじゃない。いつかは必ずその努力は報われるし、社会に認められる。

その時初めて貴方は「自分」になれる。

 

 

“貴方の愛おしいその胸にその葛藤がある限り この世も諦めることなく 微笑みかけるでしょ”

だから、今思っているその想いは間違っていないんだよ。貴方が諦めない限り世界は優しく微笑んでくれる。

さぁ行こう。

 

 

 

個人的にはみんな貴方と同じで葛藤しながら生きているし、貴方が諦めない限りチャンスは転がっているから諦めないでね。

とフロントマンから背中を押されているように感じる曲である。

もちろん彼自身理想と現実に一番苦しんだのかもしれない。

そんな彼が寄り添ってくれる。現在の立ち位置からもう一歩踏み出せるきっかけになる。

そう在りたい。

 

2023.01.10 ほとけ

 

 

復誦しながら見つけるリライアンス

こんにちはこんばんは

ほとけです。

 

つい先日Mrs.GREEN APPLE ゼンジン未到とリライアンス 復誦編が幕を閉じた。

 

まずはリライアンスと復誦を紐解いていきたい。

 

・リライアンス(reliance)

信用 信頼 頼ること あてにすること よりどころ

 

・復誦(復唱の旧字体

繰り返して唱えること

 

すっと頭によぎるのは「Soranji」だが、ここではもっと深掘りして考察していく(そういう番組です)

 

前提にフェーズ2最初の、バンド編成が変わって最初のツアーであること。

 

休止していた2年間があって編成も変わったけど鳴らして届ける音は

Mrs.GREEN APPLEなんだよ!!!

って改めて伝えてくれたようにも思える。

 

芯の音楽を復誦することで、ファンの信頼を取り戻す。

言葉にすると薄いがそういう意図もあるのではないかとライブに行って強くそう思った。

真に「灯火」「スターダム」「CONFLICT」これらの曲にはそういう思いが詰まってたようにも感じた。

 

ファンの理想とミセスの現実ギャップを擦り合わせて次のステップに行くぞ!という彼らの想い、ひいては彼らの優しさも、うかがえる。

 

というのが僕の考察。

続いてセオリー通りに考察する。

 

「Soranji」が主題歌である「ラーゲリより愛を込めて」という映画では”誦じる”の由来が色こくわかるシーンがある。

また心の拠り所もこの映画のキーとして挙げられる。

 

さらには「Soranji」で終わることも考えると「Soranji」自体が概念で彼ら3人が愛を込めて僕らへ音を届けてくれるツアーであった。

とも捉えることができる。

 

いずれにせよいつもファンを大事に想ってくれるMrs.GREEN APPLEらしいタイトルの付け方だなと思うと同時に感謝の気持ちも込み上がってくる。

 

彼らがファンとの距離を大事にしてくれていたツアーだと思う。

こんだけ人気になってもライブハウスツアーを選択してくれたこと。

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

そして何より3人が笑顔で心から楽しそうに音を鳴らす姿が見れてよかった。

1年前はこんな1年後が想像できただろうか?

見た目の武装をすることもなく届けたい音は僕らに届いています。

 

リライアンスと復誦、一見関係性のない言葉に見えるが、彼らの歩んできた軌跡を振り返れば点と点が線で繋がり、道を拓いている。

 

これからも彼らが鳴らす音楽に心を躍らせながらまだ見ぬ世界を彼らと一緒に見ていきたい。

 

それでは、合掌!

 

2022.12.30 ほとけ

ニュー・マイ・ノーマルな武装と創と造

こんにちはこんばんは

ほとけです。

 

お久しぶりのブログ。

本当であればUtopiaの感想を文字に起こして残しておきたい気持ちがあるのですが、当時の記憶を思い出せずにいるところで

DVDの発売を待ち侘びているそんな、ゼンジン1週間前。

 

ゼンジンに向けて感性を高めるために普段聴かないような曲たちと向き合っている今日この頃。

少し自分の中でとある曲に違和感を抱き始めている。

 

ニュー・マイ・ノーマル

 

Utopiaでこの曲を全身で浴びた時、立っていられるのが精一杯と思えるくらいネガティヴな感情に支配されていた記憶が鮮明に蘇る。

 

これはもちろん前段のMCで大森元貴が心情を赤裸々に告白した事実も相まっているが。。。

 

それから夏フェスやAmazonライブ、TikTokライブを通じて、必ず

”ニュー・マイ・ノーマル”がセットリストに入っているが、Utopiaで抱いた感情が再度湧いてくることは一度もない。

 

なぜか?

 

自分なりにこの気持ちを整理して納得した結論がある。

 

時は少し戻って2018年のENSEMBLE幕張

「こういう格好をしないと歌えない」というニュアンスの言葉をこぼしたフロントマンがいた。

 

彼ら、いや彼にとって曲を書く、音楽を作るという行為に膨大なエネルギーを費やすということ、そうしてできた曲を人に披露するために”武装”しないと、エネルギーに潰されてしまうのであると思うし、実際にこれまでのプロセスを振り返ると納得ができる話だと思う。

 

武装することで創と造が成立する。

 

Utopiaでの”ニュー・マイ・ノーマル”は武装していない状態の真っ直ぐな気持ちが私たちに一直線に届いていた。

この曲って彼が彼自身に暗示をかけているような、彼の気持ちに寄り添った曲であるのでは・・・?と思った瞬間には涙が止まらなかった。

 

武装しないと負の感情に飲み込まれてしまうよねって。

 

それから夏フェスなどでこの曲を聴いてもUtopiaで抱いた感情は湧き上がることなく、彼らはビジュアルで武装してマインドバランスを保っているんだな。と感じると同時に

武装と創と造ってこういうこと?と思い始めている

 

武装することに対して言葉がどうしても薄くなってしまうが、こういう解釈であれば自分がUtopiaで抱いた感情と、これまでの彼らのパフォーマンスや表現に対する理解がつく。

 

ニュー・マイ・ノーマル最高!というようなファンの方とは多少分かり合えない空間の歪みを感じている。

 

しっかりとこれからも自分の目と耳、自分の気持ちで彼らの音楽を一心に受けたいと思うのであった。(めでたしめでたし)

 

ゼンジンでしっかりと彼らの音楽を受け止めたい。

 

それでは、合掌!

 

2022.11.2 ほとけ

 

フェーズ2開幕のUtopia

みなさんこんにちはこんばんは、南無阿弥陀仏

どうもほとけです。

 

一昨日(2022年7月8日)に行われた、Mrs.GREEN APPLEの2年半ぶりとなるライブに参戦してきました。

 

一夜限りのSHOW” 〜Utopia

理想郷。

 

理想と現実のギャップにフォーカスするというか、そのギャップに対して憂いや葛藤を感じ、それらを歌にして消化することで自身の気持ちを昇華させるフロントマン、大森元貴らしい名前の付け方だと思う。

 

まずはセットリストから確認していこう。

 

【セットリスト】

01. Attitude
02. CHEERS
03. L.P

〜MC①〜


04. アボイドノート
05. StaRt
06. 道徳と皿
07. Present
08. 嘘じゃないよ

〜MC②〜


09. In the Morning
10. ブルーアンビエンス(feat.asmi)
11. 月とアネモネ
12. 延々
13. 君を知らない

〜MC③〜


14. 僕のこと
15. 青と夏
16. インフェルノ
17. うブ
18. ロマンチシズム
19. ダンスホール

〜MC④〜


20. Theater
21. Part of me

 


En1. 我逢人

〜MC⑤〜

En2. ニュー・マイ・ノーマル

----------------------------------------------------------------------

本当に”一夜限り”に相応しいセットリストだと思う。

 

セトリ順に気持ちを述べるのはまた別記事として残していきたい。

 

ライブが終わった後の感想としては

”疲れた”

が最適な表現である。

 

意図的であることは間違いないだろうが、感情の起伏が激しすぎた。

CHEERS→L.P、StaRt→道徳と皿→Present

躁と鬱の繰り返しである。

隣の方がライブ初参戦で手を上げていたが、私がものすごく泣いていたり、楽しそうに跳ねていたりしているのを見て引いていたかもしれないと感じるほど、感情の起伏が激しかった。

 

また、2晩超えてもなお、”最高”のライブだったな。

という感情はなく、この感情をどのように表現できるかが、いまだにわからない。

そのような感情である。

 

当たり障りのない文字にするのであれば

”よかったな”

であろうか。

 

話は少し戻って、このようなセトリにした意図について考えたい。

”概念”だと思っていた1曲目、【Attitude】。

演奏するんだ、とも感じたと同時に脳裏にはフェーズ1が、エデンの園が鮮明にフラッシュバックした。

変な安心感もよぎった。

 

”この人たちはフェーズ1を捨てる気もないし、何も変わらない音楽を届けてくれてる”

 

フェーズ1絶対に忘れない。

演奏する彼らからはそのような意味合いを受け取ることができた。

 

躁と鬱の繰り返しと表現したが、そうでないと大森元貴自身のメンタルが壊れてしまうのではないか。

本当であれば、2曲目に【CHEERS】を挟まずに【L.P】を歌いたかったのではないかと、筆者なりに推察する。

 

この2年半本当に想像することもできない不安や葛藤に襲われたのは間違い無いだろうし、そのような気持ちをフロントマンは大衆の前で曲を披露することで、そのような気持ちを消化するヒトである。

 

だからこそ本当はアップテンポな曲を挟まず消化したかったのでは・・・?とも思うが、彼自身その気持ちに体が追いつくのかを想像すると、とても耐えれるものでは無いことは誰しもがわかるであろう。

 

気持ち的な”武装”をするために挟みながらのセットリストにしたのでは無いかと考えると、私自身はかなり納得できる、

 

そのような背景などを推察しながら2年半ぶりに彼らの鳴らす音を体に浴びると自然に涙が溢れていた。

すごく辛かった。

 

本当にセットリスト前半は、我々の心がやられるかVS彼らの心が壊れるか、ギリギリを攻めたセットリストだった。

 

言葉で容易に形容したくはないが、活動を再開してくれて

”ありがとう”

 

彼らを救いたい私たちがまたもや彼らに救われた。

 

心が浄化されたというか、この2年半の間、さまざまな感情を抱えた私たちに手を差し伸べるような彼らのメッセージ。

絶対に忘れないし、今後も忘れることはない。

 

改めて。

 

”Mrs.GREEN APPLEおかえり。”